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夜明け前のよたか

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冷蔵庫のルール

よたか2012.08.17 20:00:00

 東桜 貴子、28歳独身。仕事は出張ヘルス。

 OLやっていた時に、コンビニに積まれた無料求人誌をふと手に取った。使いすぎたカードローンの返済に困ってた彼女の目に『貴女にも高給優遇』のコピーが目にとまる。
 下心だけの男性のお誘いや、上司のセクハラ発言など一通り経験していたから、どんな仕事をなのか理解はしてた。
 理解してたけど、わかっていたけど、結婚とかして幸せになりたかったけど、もうそんな事出来ないと覚悟して面接を受け、『ミナミ』という源氏名をもらう事になった。
 
 時代劇に出てくる女郎小屋を想像してドナドナ気分だったミナミでしたが、お客さんに「よかった」と言われると嬉しくなるし、耳元で囁かれると『あたしの事、好きかも……』なんて想像するのも気持ちよかった。
 ミナミはだんだん楽しくなってきた。ローンを完済してお金に余裕が出て来ても仕事を辞めなかった。
「もうすこし貯金したいから」とか「ちょうどいいお客さん捕まえて結婚決まるまで」とか口では言ってるけど、どうも言い訳くさい。
 ハメたりしてませんでしたが、ミナミはハマってしまったようです。もしかしたら彼女にとって天職だったのかもしれません。

── 夕方7時過ぎ ──
 ある日の夕方、店長に『もう一本いっとく?』と言われ、残業を頼まれたミナミが、事務所に戻った。清算をすませて男子禁制の女子控室に入ると、見慣れない少女がひとり正座してる。
 ピクリとも動かないので、マネキンみたいに見えるけど、ガチガチの表情で正座してるマネキンなんてありえないので、多分ドナドナ気分の新人さんです。
 儚げな白い肌、うつむいててよく見えないけど、大きめの目に長いまつげの少女です。20歳には見えないので、誤摩化しているんだとミナミはそう思った。
「こんばんは」接客で身に付けた笑顔を添えて明るく挨拶をする。
 少女はビクンとバネで動いたみたいにミナミの方を向いて、口の端を少し緩めただけだったけど、笑う努力はミナミに伝わった。
「はじめまして、あたしはミナミ。あなたは?」なんとなく、ほっとけないミナミは、優しいお姉さんスマイルを浮かべて話かける。少女は少しだけ安心したように「は、はい。栄生 美鈴と言います。今日、はじめてココに来て……。」少女がそこまで言うと、ミナミは右手人差し指を立てて、少女の口に押し付けた。
「本名とかは言わなくていいのよ。源氏名貰ったでしょ。」
「あぁ、カナって付けられました。カ、カナって言います」そう言った。とても不器用だったけど、少女は初めて笑った。
 聞くと、面接が終わったばかりで、明日の朝から仕事に入るらしい。ミナミは早番だから、カナがミナミのサポートにつくかもしれない。
 サポートとは、新人の娘が仕事に慣れるまで、先輩について一緒に接客する見習いの事。女の子によっては下着を着けたまま、服を着たままだったりします。
 流出ビデオとかで、店の従業員が無理矢理『研修』やったりするけど、少なくともこの店ではそんな無茶な事はしません。接客の時も絶対に最後までやらない。ココはとても健全な店です。


── 夜8時半 ──
 カナが先に帰ると、ミナミは店長に呼ばれて大きなお菓子の箱を渡された。箱の中身は、お菓子屋のオーナーさんが差し入れてくれた『おんたまプリン』。
『おんたまプリン』と言えば、温泉卵の様なトロミが魅力で、普通のプリンより少し白くて甘さ控えめのプリン。持ち手のついた卵形の陶製カップも洒落てて、なかなか手に入らない話題のスイーツだ。
 プリンのフタには、きれいな字で丁寧に女の子たちの名前が書いてある。マメな性格そのままの店長の字。
 女ばかりの職場なので、どれが誰の物なのか、特に差し入れのお菓子などは、はっきりしておかないと無用の争いがおこります。たとえその場はおさまっても、半年後に蒸し返す事だってあります。
 しかし、ソレに気がついて行動できる男性はそれほど多くありません。それだけにココの店長は貴重な存在かもしれないとミナミは思ってました。
 ミナミがお菓子の箱を受け取って女子控室に戻ると、仕事から戻った女の子たちが軟体動物のようにのびきってゴロゴロしてた。男性の目がないこの部屋は、この娘たちにとって唯一の楽園なのかもしれません。
 楽しいといってもやっぱり体をはった仕事、心もかなり疲れてます。
 部屋の真ん中のテーブルにミナミがプリンを置くと、疲れてきって半ば放心状態だったの女たちはフラフラと体を起こしはじめ、テーブルの上のプリンを見つけると目の色を変えて、自分の名前のプリンを正確につかみ取って早々に食べはじめます。苦いモノの後だけに、甘いモノが恋しかったのかもしれません。
 ミナミが、残ったプリンを冷蔵庫にしまっていると、後ろから女の子たちの楽しげな会話が聞こえてきます。
「両方とも、卵の白身みたいなのに、味が全然違うよね」
「そうそう、これくらい美味しかったら何回でも飲んであげるんだけどね」
「そんなの糖尿じゃないの!」
「「「ハハハっ。」」」
 R18には掛からない、際どい会話が続きます。
「お姉さんも食べなさいよ」女の子のひとりが冷蔵庫からプリンを取り出して、ミナミに手渡します。ミナミは明日の朝、食べるつもりだったけど、楽しそうだったので、プリンのフタを開けて話に入る事にしました。
 ラストまでいる夜の女の子たちは、若い娘ばかり。時間も歳も合わないので、今まで会話らしい会話もなかったのですが、話はじめると同じ仕事をしてるので、話題がつきません。
 初体験のお客さんの事や、主導権を握ったまま接客する方法や、なるべく早く終わらせる極意などなど、かなり盛り上がってました。
「お姉さま、これからチアキ姉さまって呼んでいいですか?」
 女の子の一人がミナミに抱きついて甘えてみせる。この甘え方がこの娘の武器なんだとミナミは思った。
「名前で呼んでもいいけど、あたしは『ミナミ』よ『チアキ』ちゃんは早番のもっと若い娘よ」
「ミナミ姉さま。ごめんなさい。間違えちゃった。ゆるして〜」
相変わらず甘えた声をだしてる。ミナミは仕方ないなぁと思いながら、抱きついてきたその娘の頭を撫でてあげる。女の子はミナミを見上げると、無防備に笑った。
 女の子の笑顔に少し癒されたミナミは、仕事を始めてから、女同士のスキンシップが増えた理由がちょっとわかった気がした。
 ミナミは少し気になって、自分が食べたプリンのフタを見ると、几帳面な店長の文字で『チアキ』と書いてあった。冷蔵庫の中を見ると『ミナミ』と書かれたプリンが残ってる。
 ミナミはちょっと嫌な予感がしたので、A4のコピー用紙にチアキ宛のメモを冷蔵庫の中に入れておいた。

『チアキちゃんごめん。間違えて食べちゃった。あたしのプリン食べてね。ミナミ』


── 夜9時すぎ ──
「じゃ、みんなお先です」
「ミナミ姉さま。お疲れさまです。ではまた!」
 受付終了時間まで残ってるラストの女の子たちに見送られて、ミナミは事務所を出た。
 事務所がある雑居ビルの小さなエレベータに乗ると、石けんの匂いがミナミの鼻をつく。石けんの匂いといっても上品で清潔な物じゃなくて、芳香剤みたいにキツくてとても下品な匂い。
 女子控室には、この匂いが充満してて、あまりワカラナイけど、事務所の外に出るととても気になる。地下鉄とかで気がついてる人とかいるかもしれない。
 ミナミは、そんな事を気にしてる自分がちょっとだけイヤだった。


── 深夜3時 ──
 チアキ(本名:白壁 明日香:公称20歳)が、終電に乗れなかった事を言い訳にして、事務所に泊まりに来た。
「チアキちゃん、夜中に呼び出すの、もう勘弁してよ」鍵を開ける為に呼び出された男性従業員は一応文句を言う。
「毎晩悪いね。コレ上げるから許してね」そう言いながらチアキは、コンビニ袋からちょっと高めのスイーツを1つ取り出して男性従業員に手渡す。男性従業員は、戸締まりの注意だけすると、仕方なさそうに帰って行った。
 チアキは、言われた通りに鍵を閉めて、買ってきたお菓子に事務所のマジックで「チアキ」と書いた。
 女子控室に入ると灯りも点けず、手探りで開けた冷蔵庫の灯りを頼りにお菓子を冷蔵庫に放り込んだ時、冷蔵庫に並んでいるプリンたちを見つけてた。
「こ、これは、あのえっと、なんて言ったっけ? 甘い白濁の、○んたまプリンじゃないか」
 少しアルコールも入っているのか、ひとりボケるチアキ。暗い室内。寂しさが増す。
 おもむろに女子控室の灯りを点けたチアキは、ひとりボケで増した寂しさと、適度なアルコールの勢いで、自分の名前が書いてある『おんたまプリン』に手をつけた。
「おぉ、さすがに旨いぜ!」
 最後に一言、そう言い残すとチアキはそのまま眠ってしまった。


── 朝9時 ──
 女子控室の表で、男性従業員が体育会系の朝礼をやってます。男性には結構きびしいこの仕事、朝礼も結構大きな声を出してます。
 ミステリーとかだと、仮眠用ベッドで寝ていたチアキの胸ににナイフが刺さっていたりするんでしょうが、そんな話ではないので、チアキは普通にベッドで目をさまします。
 チアキがひとつ伸びをして、体を起こすと、見慣れない少女がチアキの方を見てる。
 年齢は同じか少し若い位か? 透けるように白い肌と、黒めがちで大きな瞳。ちょっとスマして見えるけど、多分緊張してるだけ。
 チアキが気がつくと、ちょっと居づらそうにして、カクカク頭を下げた。ボソボソ何か言ってるのは挨拶だとチアキは思った。
「あなた、面接? 新人? いくつ?」少し面倒くさそうにチアキが聞くと、少女はやっと聞こえる程度の声で答えた。
「は、はい。今日から仕事する、さこう……、カナ。カナです。じゅ、じゃない。20歳です。アスカさんは、おいくつなんですか?」
「アスカさん……?」
 チアキは少し考えた。
 アスカさんは、ちょっと気取ってるけど、この店のナンバーワンで、カッコいい大人の女で、チアキの憧れのお姉さま。一応早番だけどこんなに早くから来る事はないし、どうしてアスカさんの名前が出てくる? いや、違うこれは……。
「あんた、カナだっけ? なんであたしの本名知ってるの? あたしの私物見たの?」チアキがカナを睨みつける。
 チアキの本名は、白壁 明日香。枕元のカバンには、免許証や保険証が入ってるから、チアキは、カナがカバンの中を見て、本名で呼んでいるのかもしれないと疑った。
「いえ、ちがいます。見てません。そんな事しません。えっと、テーブルの上のプリンのフタが……。」
 そう言えば夕べ、チアキは寝る前にプリンを食べた。おいしいプリンを食べた。そして、歯も磨かずに寝た。
「プリンのフタがどうしたのよ」チアキは少し身構えてそう言った。
「あ、あの、プリンのフタに『アスカ』と書いてあったのですから……。すいません」そう言って、カナが正座のママ頭を下げるから土下座みたいになった。
 土下座って言葉は結構聞くけど、実際にしたり、されたりする事はあまりない。ましてや、じゅう……、20歳のチアキにとっては人生初の土下座。
 かなり、引いた……。
 チアキの方がとっても悪い事をしている気さえしてくる。
「ちょっと、あんた、土下座なんてやめてよ。そこまで怒ってないって」チアキがあわてて言うと、普通に頭を下げたつもりのカナの方も驚いた。
 9時に来るように言われて、緊張しつつココで待ってて、寝てた先輩にいきなり怒られて涙が出る寸前だった。
「ご、ゴメンね、別に怒ってるんじゃなくてさ、いきなり『アスカ』って呼ばれたからびっくりしただけなんだって」チアキはチアキで、こんな時にどうしていいのかわからず、慌ててつけ加える。
「うん。テーブルのうえのプリンのフタに書いてあったから……」カナは、少しだけ泣き顔を抑えてそう言った。
 そう言われたチアキは、あらためてテーブルの上のプリンのフタを摘んで見た。そこには、しっかり『アスカ』と書いてある。
 確かにチアキの名前は『明日香』だけど、ココでアスカと言えば、尊敬するアスカさんの事。チアキは間違えてアスカさんのプリンを食べた事に動揺する。
 アスカは結構プライドが高くて怒るとかなり恐い。最近は女王様プレイも秘密特訓中だと言っていた。
「間違えちゃった。どうしよう。アスカさんに怒られちゃうよ」アスカは顔をひきつらせて、目の前のカナを見た。
 カナはすこしだけ落ち着いたみたいだったけど、やっぱりまだまだ緊張しているようだった。


── 朝10時 ──
 アスカ(本名:大曽根 郁美:24歳)が出勤してきました。
「おはようチアキ。あら、そちらは新人さん?」アスカが挨拶すると、女子控室が少し緊張する。
「お、おはようございます。アスカさん。この娘は、今日から仕事に入るカナちゃんです」落ち着きの無いチアキの返事。カナは言葉少なく挨拶をする。緊張してるというより、人見知りなのかもしれない。
「まだ若そうね、がんばりなさいね」自信あふれる笑顔でアスカはカナにそう言った。カナはそれに小声で頷いた。
 アスカは12:00から予約が入っているので、準備をして11:30に出かける。
 1時間半は一緒にここにイナイといけない。もし、11:00の受付と同時にカナに指名が入れば1時間で済む。だけどチアキのの客層を考えるとソレは無理だ。
 フリーのお客さんが来てくれる事を、チアキはどこかの神様にお願いした。
「あら? いいのがあるじゃない」冷蔵庫を開けて、アスカが嬉しそうな声を出した。チアキの動きが一瞬止まる。カナは心配そうにチアキを見てる。
「へぇ、おんたまプリンかぁ。なんか名前が○んたまプリンみたいでエッチね。フフフっ」チアキと同じボケをかますアスカ。思ったほど面白くなくてチアキはちょっとショックだった。
 アスカは自分の名前が書いてあるフタを開けてプリンを食べ始める。アスカの表情が曇る。明らかに期待はずれの顔をしてる。
「美味しくない訳じゃないけど、いつも食べてるのとあまり変わらないわね」
「そ、そうですか? あたしはおいしいなぁって思いましたよ」絞り出すような声で返事をするチアキ。
 チアキが食べちゃったので、アスカのプリンはすでに無くなっていた。それでも、なんとかしようと、コンビニでのプリンを思いっきりかき混ぜてトロトロにして練乳で白っぽくしたのを、卵形の陶製カップに入れて偽物を準備した。
 チアキを手伝ったカナはちょっと、気まずそうにしてる。
「この程度なら、わざわざ並んで買わなくてもいいのにね」さすがナンバーワンのアスカ。率直で正確な感想を口にします。
「みなさん、おはようございます」落ち着いた声。背は低くてすこしぽっちゃりしてるけど、体のラインは崩れていない。軽くカールさせたショートヘアーのマリア(本名:上社 恵子:シングルマザー:公称29歳)が女子控室に入って来た。
「アスカちゃん。なんかいいの食べてるわね」さすが主婦、めざとく今日一番の話題に見つける。
 マリアの言葉に、チアキ肩が一回ハネタ。 
「おはようございますマリアさん。このプリン、美味しくない事ないけど、期待ほどではありませんよ」半分ほどで食べ飽きたアスカが、がっかり感を乗せて返事をする。
「へぇ、そうなの? ちょっとショックね。でもせっかくだからいただくわ」そう言いながら、冷蔵庫からプリンを取り出すマリア。
 マリアは、プリンのフタを開けながら、初対面のカナと挨拶を交わし、忘れずに励ましの言葉を付け加えます。
 落ち着いた感じの女性が現れて、カナは少し安心した様子。
「彼女は誰のサポートに入るのかしら? 私は11:00に予約入ってるけど、家から出てこれない若い男性だから、無理だと思うわ」マリアさんが仕事の話をはじめる。
「いわゆる、引きこもりって言われる方かしら?」アスカが軽く言うと、カナが少しビクっと震えた。隣に居たチアキはその事に気がついたけど、今はそんな事を気にしていられない。
「あら、アスカちゃんの口には合わないみたいだけど、私には美味しいわ」1割の皮肉を込めてアスカに聞こえるようにマリアが言う。
 マリアが食べはじめたプリンを、アスカはじっと見て、自分のと見比べている。
「ねぇ、マリアさん。よかったそっちのプリンを一口いただけませんか?」名探偵なみに違和感を感じたアスカがマリアに頼み込む。
「えっ、いやよ。アスカちゃんは自分のを食べればいいじゃない」マリアは主婦らしくきっぱりと断る。チアキにはマリアが頼もしく見えた。頼むから最後まで断ってください。チアキが心の中でマリアさまにお願いをする。
 マリアが断った事で少し険悪な空気になってもなお、どうしても気になるアスカがマリアに提案を続ける。
「じゃ、こちらのプリンを一口、食べ比べていただけませんか?」チアキの顔から一気に血の気が引いた。
「あなたの食べかけを? イヤよ」マリアの返事を聞いたチアキは、そこまで言うのもどうかと思ったが、そっちの方が助かるので口出ししない。
「どうしてそこまで嫌がるんですの?」かなりテンションが上がって来たアスカに、マリアは明日のランチを交換条件に出してきた。
 プリン一口にランチ一回。どう考えてバランスが悪い。しかしプライドの高いアスカは簡単にその条件をのんだ。
 チアキはその場から逃げたくてしょうがない。
 マリアは炊事場から新しいスプーンを持って来て、アスカのプリンをすくって一口食べた。万事休す。もう終わりだ。
 チアキの頭の中は謝罪と言い訳で一杯だった。

「うーん。同じ味だと思うけどなぁ」マリアが言った。

 助かった。ありがとうマリアさま。チアキは感謝をわすれない。マリアの一言を聞いて、渋々納得するアスカ。
「じゃ、私はそろそろ出かけるわね」気がつくともうすぐ10時半。マリアが客先に出かける時間だった。
「引きこもりの、お兄様によろしくお伝えください」アスカは、なにか皮肉を言いたかったけど不発に終わった。ニコリと笑って応えるマリア。
 そして、マリアが女子控室を出る時に脱力したチアキの耳元でそっとつぶやく。
「貸しひとつ。忘れないでね」
 チアキの背筋がゾワッとした。振り向くと、ドアがゆっくりと閉まって、マリアの姿が消えて行った。
 ランチ一回で済むだろうか?
 チアキの恐怖が3割増した。


── 朝10時45分 ──
 いつもより、遅れてミナミが出勤してきました。店長に怒られていたみたいだったけど「いやぁ夕べの残業の1本がなかなか大きかったんですよ」と適当な言い訳をして女子控室に入って来た。
「ミナミさんが遅刻なんて、珍しいですわね」テンション下げたままのアスカが挨拶より先にそう言った。
「おはよ。夕べさ、ラストの娘たちと話してて遅くなっちゃったんだ。この仕事は出勤時間より、睡眠時間の方が大事だからね」ミナミの軽口に反応が薄い。
 アスカはいつも通り男性誌で勉強してるけど、いつもより無表情。こんな時一番、反応してくれるチアキもソワソワしてて話を聞いてない感じ。
 その中で唯ひとり、嬉しそうにミナミを見ていたのは、昨日マネキンみたいにカチカチだったカナだけだった。
「おぉ、カナちゃんおはよ。今日は私のサポートよろしくね」ミナミが声を掛ける。
「はい。がんばります」カナは嬉しそうに、振り絞って返事をする。おとなしそうなカナが、急に声を出したのでアスカとチアキが少しだけ驚いた。
「12:30に予約入ったから、それまで予習しときましょ。ちょと不器用だけど優しい人だから安心してね」ミナミが優しく笑うとカナの表情も緩んだ。
「ところで、チアキちゃん。冷蔵庫の中のメモわかった?」ミナミが聞くけど、チアキには通じない。
 チアキはミナミに言われるまま冷蔵庫の中を開けて中を探してると、自分が放り込んだコンビニ袋の下からA4サイズのメモが出て来た。暗くてちゃんと見てなかったメモの皺をのばして読んだ。 よんだ。 よ・ん・だ……。
 
 そうだよ。よく考えれば絶対おかしいじゃん。『チアキ』の名前がなかったから『アスカ』の名前のプリン食べちゃったんだよ。
 じゃ、最初からあたしのプリンが足りなかったんじゃないか。あの冷蔵庫の『ミナミ』さんの名前のプリンがあたしのだったんだぁ。だからそれをアスカさんに渡せば良かったのに、やっちゃったぁ。
 どうしよう。いまさら……。

「チアキちゃん、プリン美味しかったわよね」ミナミが声を掛けても、チアキはナマ返事しか出来ない。ミナミの横に座ってるカナが、ミナミの袖を引っ張り小さく首を振っています。
 カナがせっかく何か言いたそうにしてるので、ミナミはその話をするのを辞めました。ミナミは辞めたのですが、今まで黙っていたアスカが話を続けてしまいます。
「ねぇ、ミナミさん。プリンおいしかったですか?」アスカの目が少しこわい。
「夕べ食べたけど、とってもおいしかったわよ」ミナミが笑顔で答える。チアキがブルッと震えた。カナが下を向く。アスカは……。
「ミナミさんのプリンはまだ冷蔵庫に残ってますけど」冷蔵庫から『ミナミ』の名前のプリンを取り出した。

「それ、チアキちゃんのだよ」ミナミの一言で女子控室が固まった。

「チアキぃ、説明してもらおうか?」アスカの矛先の照準が正確にチアキに向けられた。チアキはすぐに後ろに跳ねてそのまま土下座して謝った。今朝チアキが土下座された時は気まずいと思ったけど、今のアスカはそんな風には思っていない。
 すべてを話して謝るチアキ、謝罪をじっと聞いているアスカ。事の真相をミナミに話すカナ。
「一体なんて事してくれるの? で、あんたはどうしてくれるのかしら?」アスカが口を開いた。チアキが頭を少し上げてアスカを見る。素が美人なだけに怒った時の迫力が違う。平伏しまたまのチアキが小刻みに震えている。
「じゃあ、秘密特訓中のプレイの相手してもらおうかしら?」薄笑いのアスカ。
「あ、あのそれって、女王様プレイの事でしょうか? それだけは……」涙目のチアキが顔を上げてアスカに訴える。
「秘密って言ってるでしょ。覚悟はいい……?」アスカの迫力にチアキが動けない。
 丁度そんなタイミングで、インターフォンで店長から連絡が入る。
「フリーのお客さんが入りました。チアキちゃん行ってください」いつもなら、ダラダラ動きだすチアキですが、「すいません。呼ばれたので行かないと。話は帰ってから……。すいませんでした」捨てゼリフというか、捨て謝罪を残して、逃げるように女子控室から出て行きました。
 仕事なら仕方ないと思いつつ、アスカの怒りはおさまりません。
「ごめんね。アスカちゃん。最初にわたしが間違えちゃったからこんな事になっちゃって」ミナミがスグに声を掛けます。
「ミナミさんには、別に怒ってませんよ。ただ……」
「チアキちゃんも、困ってやっちゃったんだから、許してあげてよ」
「そうだけど、でも……」
「ほら、これ上げるから」ミナミは『ミナミ』と書かれたプリンをアスカに手渡した。
「ありがとう……。てっいうか、コレ、流れ的に私のですよね」
「あら、そうねゴメンね。でもおいしいもの食べると幸せになれるっていうでしょ。だから食べてみなさいよ」
「うん。そうします」ミナミになだめられ、アスカは落ち着いて……っていうかアスカはミナミにデレはじめてる。アスカはミナミにもたれて、幸せそうにプリンを食べはじめる。
「ミナミ姉さま、このプリンやっぱりおいしいです」
「よかったね」ミナミはアスカの頭をゆっくり撫でている。
「口移しでよかったら一口あげますよ」アスカがイタズラっぽく笑う。
「まぁ魅力的。でも今は遠慮しておくわ」
 そんなユリごっこをしているうちに、アスカの怒りは収まってゆきました。
 

── 朝11時30分 ──
「じゃ、ミナミお姉さま。行ってきます」すっかり機嫌を直したアスカが仕事に出かけるのを見送ったアスカとカナは、出かけるまでの30分の間に仕事の流れを確認する事にした。
 サポートは服を着ててもいい事になってるので、ミナミがそう言うとカナは「いえ、全部脱ぎます」と言った。
「すごいね。でも無理しないでいいよ。この仕事は最初が肝心なんだよ。今回は一回くらい参加できればいいんだからね」ミナミは、練習用のとてもリアルなバイブをカナに手渡しながら言った。
「あ、あの、口ですか? 手ですか?」真剣に聞いてくるカナ。
「最初から口だけなんて無理よ。結構難しいんだから」ミナミは笑顔で答える。
「そうなんですか。ゲームだと口だけで出たりするからそんなモノだと思ってました」バイブを見ながら、舐める真似をするカナ。
「カナちゃん。もしかしたら経験ない?」
「実物の男性とは経験ありません」
 実物の?
 実物で無ければなんだろう?
「もしかして、ゲームとかだけなのかなぁ」
「エッチな事は、ゲームとネットでしか知らないんです。それじゃいけないと思って、ここの面接に来たんです」
 ちょっと、待って。経験が無いから、いきなり風俗? この娘ちょっとトビ過ぎてて、ミナミの想像の枠からはみ出てる。
「プライベートな事聞いて悪いんだけど、学校の友だちとかは? カナちゃん可愛いし、告白とかされなかった?」
「あの、ずっと引きこもってたから、あまり学校に行ってないんです」
 とんでもない娘が現れた。ミナミにとってジェネレーションギャップどころの話じゃありません。
「そ、そうなの。ごめんねイヤな事聞いて。時間も無いから少し練習しようか?」必死に話を切り替えるミナミ。
 カナは素直に頷くと、冷蔵庫から自分のプリンを持って来て、バイブの上に掛けはじめました。白っぽいプリンが乗ると、バイブが益々リアルに見えてくる。ミナミはちょっと変な気分になってきた。
 カナは、長くない舌を使って、プリンをすくい上げるように舐めはじめます。
「こんな感じでいいですか?」
「そ、そうね、もう少しゆっくり筋にそって。最後は舌先を使うのがいいかな」普通なら、基本的な挨拶とかを教えないといけないのに、ミナミにもスイッチが入ってしまったようです。
「じゃ、一緒にやってください」カナが見上げながらそう言うと、ミナミは逆らえなくなった。一本のバイブを二人で舐め上げる。
 カナが左手にバイブを持ち替え、右手でミナミをしっかり抱き寄せる。バイブを舐める時に、ちょっとだけ互いの舌が触れる。
 カナはバイブをミナミに持たせて、自分はプリンを口の中に溜めると、そのまま、ミナミにキスをした。口移しで流れ込むプリンの味は、夕べ食べたプリンよりも濃厚で苦い味がした。

 とんでも無い娘が現れたとミナミは思った。

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