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夜明け前のよたか

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  1. 掌編・書出し
  2. わたしは猫じゃない

わたしは猫じゃない

よたか2015.03.14 20:00:00


笑顔をみると、ココロの体温が2度あがる。
側にいると、背骨の震えが指先まで伝わる。
名前を呼ぶと、胸が一杯で呼吸ができない。

コレは、たぶん恋。
あこがれとかじゃない。
遠くからじゃモノ足りない。
もっと近く、もっと直接、積極的に関わりたい。交わりたい。
だから、この気持ちはぜったい恋。

だけど、彼女と2人だけになっても、何も言えない。何も出来ない。
そんな自分が情けない。いつものカフェで彼女を見かけた。というより来るのを待ってた。
開け放した間口から穏やかな風が流れ込む、20席ほどの小さなお店。
道に張り出して置かれたテーブルをよけながら、暖かな空気をまとって彼女がやって来た。
大きく分けて後ろでまとめた茶の髪。一歩進むごとに細いウェーブが揺れて、濃紺のスーツの背中で踊ってる。
胸元が少し開いたグレーのブラウス。生地が薄くて女性の色香が透けている。
タイトスカートからスッと伸びて、80デニールでラッピングされた脚先は、レンガ色のパンプスに綺麗に収まっていた。

奥まで進み、外から見えない2人用丸テーブルに座ると、ナイロンのビジネスバッグを脇に置く。
「カフェラテおねがい」と言いながら、文庫本を取り出す。
そして、軽くお辞儀をするウェイターに、笑顔をプレゼントした。

それさえも、妬ましい。

壁際のソファーに座る彼女の隣の席に座った。胸の辺り振動が加速する。
文庫本を読みはじめた彼女は、ふと視線を上げて私を一度見た。
「あらっ」彼女の反応が予想外だった。
「いつもかわいいわね」
すこし勝ち気な目を細くして、私を見つめてくれる。
「君はいつもココにいるの?」
私の返事を待たず、彼女は立て続けに話しかける。
私はただただうつむいた。
彼女は、右手を私の頭の上にのせて軽く撫でてくれる。
それだけで体の力が抜けちゃいそうになる。
彼女はそのまま、耳の下から頬にかけて優しく触ってくれた。
彼女にしてみると気軽に撫でているだけかもしれないけど、私にとっては愛撫に等しかった。

それだけで息が荒くなる。喉が鳴る。

そんな幸せを感じながら、私は少しだけ悲しくなる。
こんなに好きなのにどうしても超えられない。
私がこうして彼女の側に居られるのは、私がネコだから。
もし人間だとしても、同性じゃこんなに触ってもらえない。
触ってもらえるのも、やっぱりネコだから。

だけど、これ以上は無理。彼女とは近づけない。
どうにもならないジレンマが膨らんで、私の気持ちを押しつぶす。

それでも、今は彼女が私を見て、触ってくれる。
背中を撫でてくれる。脇からお腹を撫でてくれる。
後ろ足のつけねが痺れるみたいに気持ちいい。
いまは彼女の指先だけを感じていよう。小さな頭で他の事を考えるなんて勿体ない。

「またそのネコ来てるんですね」
「この[[rb:猫 > こ]]こちらで飼われてるんじゃないんですか?」
「いえいえ。この猫、明美さんが来られる時だけやって来るんですよ」
「この[[rb:猫 > こ]]に気に入られちゃったかな?」
『はい。愛してます』私の言葉は届かない。
「ほら、“好きですニャ〜”って返事してるじゃないですか」
「あらほんと。もう連れて帰っちゃおうかしら」

そんな事があってから、マンションで明美さんとの2人暮らしが始まった。

私の毛は薄い茶色で長かった。
ペルシャ方面の血統らしいと言って、明美さんは、私を“ユキ”と名付けた。
野良だった時は気にしなかったけど、名前で呼ばれるのはちょっと嬉しい。
『ユキ〜おいで』と明美さんが言うと思い切り走り出しちゃう。そして洗われちゃう。
水とかお湯とかは嫌いなんだけど、明美さんも一緒なので我慢できる。
いや嬉しいが勝っているかも。

他に変わった事と言えば、首輪を付けてもらった事と、病院で手術した事かな。
何なのか解らないけど、しばらく後ろ足の付け根が痛かった。
たいした事ないのだけど、明美さんに触ってもらっても“痺れる気持ち良さ”が無くなったのは残念な気がした。

でも一番変わったのは、明美さんが帰って来てからの時間かな。
明美さんはいろんな顔をして帰って来る。

笑顔で帰って来た時は「ユキ、あのねぇ……」と私にいろんな話しを聞かせてくれる。
私には何の事か解らないけど、明美さんが喜んでいるだけで私も嬉しい。

疲れている時は、私を抱きしめて離してくれない。
何も話してくれないので私も黙って側にいた。

寂しげな時は、ベッドまで寄り添って一緒に布団に潜り込んだ。
明美さんの耳や首筋を舐めると彼女は小さな声で泣き。
膝裏や太ももを舐めると少しだけ呼吸を乱してそのまま眠りについた。

朝、明美さんは仕事に出かける。
夕べどんな顔をしていても、真っ直ぐに背中をのばして、軽く顎を引き、口を軽く結び、いつもの勝ち気な瞳で出かけていく。

明美さんを見送ってから、私も外に出る。
いつも少しだけ開いてる窓からバルコニーづたいに地上に降りて散歩に出かける。
今まで食べ物を探して歩き回ってたけど、明美さんと暮らし初めてから、歩く理由が変わった。
街並や花壇を見て歩く事が増えた。
人間には“きれいな色”がついているらしいけど、私には“緑っぽく”しか見えない。
明美さんは『ユキ、奇麗な夕焼けね』とか言うけど、いつもは灰色の空が黄色になるだけ。
いつか明美さんと同じ世界を見てみたい。

そんな事を思って毎日すごしていた。

恐かったオス猫たちも、最近は声を掛けて来ない。体がウズウズする事も無くなった。
明美さんと一緒にいるからそれで満足してるのかもしれない。

そして、明美さんが家に帰る前には家に帰るようにしていた。
明美さんはどんな顔をして帰ってくるんだろう。


明美さんと暮らして2度目の春が過ぎた頃、知らない人間が部屋にやって来た。
[[rb:臭い > におい]]から『オス』だと思った。
明美さんより若い『オス』は明美さんより威張っていた。
人間も猫も『オス』は威張って気に入らない。
そして明美さんはその『オス』のいう事を聞いていた。気に入らない。
その夜、明美さんと『オス』は裸になって交尾をしてた。
私はベッドから追い出された。ますます気に入らない。

その日からその『オス』はずっと明美さんの部屋にいた。
明美さんの香りがしてた部屋に『オス』の臭いが充満するのが我慢できない。少し苛立つ。
『オス』は昼間も部屋にいる事があって、部屋中何かを探してた。
そして何か見つけると、そのまま出かけて明美さんより遅く帰って来た。

最近の明美さんは、辛そうな顔をする様になった。
そんなに辛いなら、あんな『オス』追い出せばいいのに。

「明美。すこし都合してくれないか?」
「この前も渡したじゃない」
「もう少し都合してくれたら、仕事に就けそうなんだよ」
「この前もそう言ってたじゃないの」
「いいじゃねぇか。もう少しなんだよ」
「でも……」
 そうして、2人は交尾をはじめた。『オス』に抑え込まれる明美さんを見てるのがいたたまれない。

『やめて!』そう言いながら、私は『オス』に飛びかかって、背中を大きく引っ掻かいた。
「イテ!」と『オス』は叫びながら、私を払いのけた。私は床に叩き付けられた。
「ユキ……。辞めて! ユキに乱暴しないで」
「うるせぃ。ドラ猫! どこだ!」
「ユキ!」
私は部屋を駆け回りながら逃げた。『オス』はテーブルを倒して道を塞いだ。追いつめられた。
そのまま背中を掴まれて引っ張り上げられた。
「お前、最初から気に入らなかったんだよ。こうしてくれる」
そう言いながら『オス』は、窓を大きく空けて私を外に放り投げた。
後ろから明美さんが私を呼ぶ声が聞こえる。
明美さんの声を聞くのは、コレが最後かもしれないと何となく感じた。

そのまま、何かにぶつかった。
あけみさん。ユキは幸せだったよ。また会いたいな。

「お前はもう一度、明美さんに会いたいのかい?」
「うん。もう一度会いたい。ユキって呼んで欲しい。もっと一緒にいたい」
「それがお前の願いか?」
「うん」
「よし。わかったよ」

最期に誰かと話しをした気がした。遠くで明美さんの叫び声がする。
また泣いてる。泣いてくれる人がいるなんて幸せだな。
でも、もう泣かないで。もう一度会えるから。
だけど、だんだんわからなくなって来た。
もう眠いや。


「元気な女の子ですよ」
 3日前、明美は女の子を出産した。
 明美は弁護士の雄一と結婚した。決して若くはないので、子どもは諦めかけていたが、どうしても欲しかった。
 雄一も喜んでくれている。
 
「名前は決めた?」
「女の子だから、わたしが決めて良いのよね」
「そういう約束だからね。男の子なら『長政』にしようと思ったけどね」
「あなたが福岡出身でもその名前はないわよ。あぁ、女の子で良かったわ」
「ひどいなぁ。それで名前は?」
「ゆき。漢字で、自由の“由”に、貴いの“貴”で、由貴」
「それって、君が飼っていた猫の名前じゃ……」
「そう。ユキは命をかけて、わたしの目を醒してくれた。立ち直るキッカケをくれたの」
「そして、僕らの縁も繋いでくれたし、恩人、[[rb:恩猫 > おんびょう]]だね」
「やだその言い方。猫の怨霊みたい。ユキはもっといい[[rb:猫 > こ]]よ」
「解ったよ。縁結びの猫だよね。それじゃ出生届け出してくるよ」
 そう言って、雄一は病室を後にした。
 明美は上体を起したベッドから、隣に寝ているしわくちゃな娘を見る。見た目にはまだ可愛いとは言いきれないけど、何よりも愛おしい。
「由貴、ちゃんと生まれて来てくれてありがとう。ユキ、おかえりなさい」

 由貴は返事をするように、一度体をよじらせた。

<了>