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夜明け前のよたか

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妹と、菓子パンと、海を越えて

よたか2015.05.13 20:00:00

「お父さんは海をこえて来たの」

 小さな蛍光灯の白々としたキッチン。正方形のダイニングテーブルに、まだ夕食の食器が置いてある。食後のお茶を湯飲みに注ぎながら、雅美は勇祐と美弥にそう言った。
 2人とも父親が日本人でない事くらい知っていた。浅黒い肌を揶揄われた事もあった。だけど父は優しかったし、雅美も強かったから4人でガンバって生きてきた。去年の夏、警官の発砲で父が他界するまでは。

「どうしたの? 急におとうさんの話なんて……」
 三等分に切り分けた菓子パンから視線を上げた勇祐は、ずっと父の話をしなかった雅美を一瞥し、少し大きめに切ったパンを美弥の皿に乗せて母親の返事を待った。

「うん。ちょっとね、ちゃんと話そうと思って」
 雅美は少ない食器をシンクに運び終えて自分の席に座ると、勇祐が切り分けた菓子パンを手に取った。既に食べ始めていた美弥は「おいしいよ」と雅美にすすめる。
 美弥に気を使われて、雅美は自嘲気味に笑って一口齧った。

「お父さんが殺されたのは……」そう言い始めた雅美を制止するように勇祐が口を挟んだ。
「お父さんとお母さんはどこで知り合ったの?」
「えっ?」突然の事で雅美は少し戸惑った。
「どうして結婚したの?」美弥もそう言った。
「そ、そうねぇ。高校の同級生だったの。お父さんは留学して日本に来たのよ」
「留学って、お父さんの実家はお金持ちだったの?」
「よく知らないの。行った事ないしね」
「相手の家とか知らないのに、結婚したの?」
「まぁそう言う事。だからおばあちゃんも怒ってるんだけどね」
「それは知ってる」勇祐も美弥も笑って言った。
「でもね、お父さんは頭良かったのよ。最初から日本語も喋れたし、数学なんて学年1位だったもん」雅美の表情が少し柔らかくなった。
「でも大学には行かなかったんだよね」
「大学までは学費が出なかったみたい。迷ってたみたいだったけど日本に残って就職したみたい」
「“みたい”って、ちゃんとしらないの?」勇祐の声が裏返る。
「その頃は大学行って、他の人と付き合ってたもん」
「お母さんの浮気者!」美弥が少し怒った声を出した。
「何言ってるの。女なんて沢山恋をする生き物なのよ。美弥だってキットそうよ」
「美弥はそんな事しない」まだ引き蘢っている美弥はそう言った。
「まぁ美弥落ち着いて。でもどうして付き合ったの?」
「あぁ、大学のサークルで“海外交流”みたいなイベントの時に思い出して、声掛けたの。そしたら“デート”だと勘違いして来ちゃってさぁ、ちょっと浮いちゃったのね。それで相手してたらいつの間にか付き合ってたんだ」楽しそうに昔話をする雅美。勇祐はそんな雅美を見て少し安心していた。

「まぁ、それからが大変だったんだけどね」
 それから、周りに反対された話、勇祐が生まれた時の話、転職の時の話、雅美の話はつきない。押し入れから出てきて、夜に寝るようになった美弥が、10時を回った頃に船をこぎ始めた。
 美弥の様子を見た雅美は、小さく“あっ”と息をついた。勇祐は母親の表情を見て「美弥を布団に連れて行くからちょっと待ってて」と囁いて、美弥を抱えて奥の部屋へ消えて行った。

「ごめんなさいね。勇祐にばかり気を使わせて」
 キッチンに戻って来た勇祐に雅美がそう言って「そんな風に気を使うところ、おとうさんにそっくり」と付け加えた。
「父さんに似てるんじゃなくて、母さんと一緒にいるとこんな風になるんだと思うよ」勇祐がそう言うと、雅美は軽く唇を噛んで、ごめんなさいね。と謝った。

「別にそんなつもりじゃないよ、母さんには元気で働いてもらわないといけないでしょ。そのためなら“気”くらい使うよ」
「えっ?」
「僕はまだ働けない。美弥はまだ時間が掛かりそう。だから母さんが元気で居てくれないと家族がバラバラになっちゃうじゃない」
「……」
「お父さんが死んじゃってずっと辛かった。もう家族を減らしたくないと思った。だから母さんが元気になれるならなんだってするよ」
「子どもが何言ってるのよ」
「子どもでも出来る事があるし、子どもじゃないと出来ない事もあるんだよ」
「なかなか言うのね」
「まぁね」
「わかったわ。1つお願いがあるんだけど聞いてくれる?」
「何? なんでも聞くよ」

 そう言われた雅美は少し躊躇しながら、とぎれとぎれに口にした。
「一度でいいから、抱きしめて雅美って呼んで欲しいの」
「お父さんの代わりに?」落ち着いた勇祐。
「そう。お父さんの代わりに」震える声の雅美。
「わかった。その代わり約束して」
「なに?」
「美弥が大人になるまで、父さんが死んだ理由を考えないって」
「……」

 勇祐は、母を抱きしめて雅美と囁いた。
 雅美は「あなた」と口にしたまま息子の胸に顔を埋めて泣いた。

 海を超えた気がしていた。