よたかが書いた作品を掲載中
夜明け前のよたか

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カブトムシ

よたか2013.05.17 20:00:00

「小学生の時、昆虫が好きだったんですよ」

 ふいに響いたその声に数名の小学生男子は顔を上げた。
 著名なOBが何人か呼ばれて話しをする夏休み前の特別授業の日。全校生徒が押込められた小学校の体育館はかなり蒸し暑い。
 子どもたちにしてみると、なんだかよくわからない商売の事とか難しい物造りの話しの後だったので『昆虫』という言葉がとても身近に感じたのかもしれない。
 
「えっと、鈴木せんせいは、どうしてむかしのエジプトの研究をしようと思ったんですか?」
 司会の教頭先生は、少し戸惑いながら最初にした質問をもう一度繰り返したが、壇上にいる考古学者の鈴木教授はそんな事まったく気にせずに話しを続けた。

「いやね、ファーブル昆虫記ってあるじゃないですか……」という鈴木教授に対して教頭先生は遠慮がちに、鈴木教授が古代エジプト文明に興味を持った理由をもう一度聞き直した。
 どうやら教頭先生は、自分の書いた台本どおりに進まないと不安になってしまう人らしい。元々の性格なのかもしれないし、小学校の先生だからそうなったのかもしれない。
 そんな教頭先生の、不安そうな表情など気にせず鈴木教授はニコやかに話し続けた。
 
「昆虫の中でもカブト虫が好きでね、カブト虫の事が詳しく載っている本を図書室で教えてもらったんですよ。そしたらファーブル昆虫記の本を紹介されたんです」

 そう言って鈴木教授は一度だけ司会の教頭先生の方を見て軽く微笑み、教頭先生は『ファーブル昆虫記』読まれましたか? と聞いてきた。
 昔この学校で図書室の係をしていた教頭先生は、読んでません。とも言えず苦笑を返すしかなかった。
 教頭先生の微笑みを受け取った鈴木教授は、目を細めて笑顔を作って『虫』の話しを続けた。
 少し気まずい感じがした教頭先生はもう鈴木先生の話しを遮る事は出来ず、古代エジプトの話しが出て来る事を願いながら眺めるだけだった。

「いや〜ビックリでしたよ。本を家に持って帰って読んだら僕の知ってるカブト虫の話しなんてこれっぽっちも書いて無いじゃないですか」

 身振りをまじえた大げさな話し方に、子どもたちの視線が鈴木教授に集まった。日本のカブト虫は昆虫の王様みたいな存在で、夏休みの男の子たちとカブト虫は切っても切れない存在だった。女の子が恐くて触れなくても、カブト虫は特別な存在だった。と鈴木教授が熱く話しをつづけた。 
 側で見ていた教頭先生にも、子供の様な話し方に子どもたちが共感し、引き込まれて行くのが手に取るように感じられた。

「死んだモグラの話しとか、牛の糞を丸めて卵産む事とかばかり書いてあるんですよ」

 そんな虫の話しなんて古代のエジプトには関係ないじゃないか。教頭先生はもう諦めていた。諦めていたけど、虫の真似をしたり、身振りで説明する鈴木教授の話しに驚きの声を上げたり、笑ったりする子どもたちの姿を見て、これでもいいような気もしていた。
 
「僕の知ってるカブト虫は昆虫の王様でとても立派なのに、フランスのカブト虫はちょっとカッコ悪い。国が違うとこんなモノかとかなりガッカリしたのを憶えてます」
「そうでしょうね。期待した内容と実際が違うとガッカリというか、焦ったりもしますよね」司会の教頭先生の言葉には実感がこもっている。

「でもね……」そう続けた鈴木教授は、その本に『ハマった』と言った。モグラの死体を20日も観察したり、丸まった牛の糞を分解する、学者という大人の行動に『ハマった』と言った。
 子どもの自分がやると『辞めろ』『捨てろ』と言われる事を、大人が、しかも学者がやってるのがとても不思議で羨ましかった。
 そこまで聞いた教頭先生はすかさず、それで分野は違うけど学者になろうとしたんですか? と質問して舵を切りなおそうとした。
 しかし、鈴木教授は軽く首を横に振って話しを続けた。

「実はこの本に載っていた虫は、最初の翻訳で『カブト虫』と訳されていたんですけど、本当は『死出虫』だったんですよ」

 死出虫とは、日本ではゴミ虫とかフンコロガシとか言われる虫であまり人気がない。そりゃそうだ。動物の死骸に群がる虫なんて気持ち悪いし、糞を集めて回るなんて汚い感じしかしない。だけど、ヨーロッパでは神さまの使い。しかも『死神』とかじゃないらしい。

「太陽の神さまだって言われてたんだよ」

 体育館の子どもたちが大きくざわめいた。たかが虫が、しかもゴミ虫が神さま? 太陽神? そんな事信じられない。そう言ったざわめきだった。ざわめく子どもたちを見て満足したように鈴木教授は話しを続けた。

「ファーブル昆虫記に書いてあったのですが『死出虫』はずっと昔『スカラベ』と呼ばれていたんですよ」
「ずっと昔というとそれは……」
「そう、古代エジプトの話しです。丸いフンの塊を転がす姿をみた古代エジプト人は、丸い太陽を運んでいるように見えたんでしょうね。きっと。」
「だから、鈴木先生は古代エジプトに興味を持ったと……」

 鈴木教授はココで一回笑って大きく首を横に振り、本そのものは興味深かったし面白かったけど『騙された』気分しかなかったと付け加えた。
 だけど、その印象の強さから『ファーブル昆虫記』の内容は頭の中に染み付いてしまったらしい。
 それから中学、高校、大学と進むうちにエジプトと太陽の関係の深さを知るほどに、小学校の時に読んだ『ファーブル昆虫記』の事を思い出すようになったのだそうだ。

「いま使われているカレンダーや、ピラミッドの建築技術、地図の作成なんかはエジプトが太陽を観察してきたから出来たと言われているんです」

 フンコロガシと、太陽と、エジプトが繋がったこの瞬間、体育館から子どもたちの息を飲む音が聞こえた。その様子を見た司会の教頭先生はちょっと安心した。エジプトの話しが出て来た事よりも、子どもたちが興味もってくれて安心した。

「やっとエジプトの話しが出て来て安心されましたか? 教頭先生」
「はは、そうですね、でももう少し時間があるので続きを伺いたいです」
 鈴木教授は一度頷いて、話しをはじめた。
「どうしても気になった私は大学の夏休みに実際にエジプトに行ってみたんですそしたら、ソコで出会ったというか、再会してしまったんですよ」
 鈴木教授はタメをつくる。静まる体育館。瞬きさえ忘れた子どもたち。
 
「大きな太陽を抱えた、金の『スカラベ』の飾りがあったんです。私は小学校の時に手にした『ファーブル昆虫記』の事を思い出しながら、少しだけ涙が流れたのを憶えてます」

 鈴木教授は、エジプト遺跡の事についていくつか話しをして、最後にこう締めくくった。

「私がみんなの前でお話が出来るのは小学校の時『ファーブル昆虫記』を薦めてくれた、図書の先生のおかげなんです。いまその先生にはとても感謝してるんですよ。 あの時はありがとうございました『教頭先生』」

 鈴木教授は右手を教頭先生に差し出して握手を求めた。不意にそう言われてもなにも思い出せない教頭先生だったが、求めに応じて握手をした。

「あの時は、なんでこんな本を教えたんだって思ったけど、結果的に一番いい本を薦めてくださった事に感謝しています。本当にありがとうございました」

 図書の係をやっていたのもイヤイヤだったし、教頭先生は当然そんな事憶えていなかった。だけど自分のやって来た事が、人ひとりの人生を左右する事がある事を実感し、心からこみ上げて来る衝動を抑えきれなかった。

「鈴木教授、こんな私にお礼なんて……。勿体ないです……」
 そういいながら、教頭先生は鈴木教授の右手を思いっきり握りしめて頭を下げて頬を濡らしていた。
 鈴木教授は、教頭先生の右手を一度握り返し、手を離し向きを変えて生徒たちの方へ大きく手を振って最後の挨拶をして壇上から降りて行った。

「みんな、最後まで聞いてくれてありがとう。ではまた機会があれば会いましょう」