よたか2016.01.17 21:26:12
ファストファッションの問題点を提示したドキュメンタリー映画、トゥルーコストを、今池のシネマテーク名古屋に見に来ました。上映前一時間に来たのに、すでに補助席。関心の高さがうかがえます。
もっとも、他の地区の上映が不定なので、結構遠くからも来られているようです。
上映十分前で、満席になって入場を断り始めたみたいです。
場内にはいると、最前列のまえに、座椅子が2列並べられている。なんという〝補助椅子〟強烈すぎます。シネマテーク名古屋。おかげで足をのばして映画見られました。
映画の感想
さて映画の感想ですが、言いたいことがたくさんあるのはわかるけど、詰め込みすぎてナカナカ伝わらなかったです。
最初は1,129人が亡くなった、2013年4月の『バングラデシュのダッカ近郊ラナ・プラザ倒壊』から始まって、日本を含む欧米諸国のダンピングがこの事故を引き起こした所からスタートした。
ただ、映画の中では触れふられませんでしたけど、この事故の後少し様子が変わってきたようです。
1000人が命を落とした縫製工場ビルの崩壊がバングラデシュを変えた
こう言った業界システムだけの話で進めて行くのかと思ったら、衣料がすぐに捨てられてしまう話。着ない衣料がアメリカからバハマに流れて、バハマの衣料産業が立ち行かなくなった話。綿花の収穫増加の為に、あのモンサントから種を買って農薬を撒きすぎた話、モンサントから種を買う為に土地を抵当に入れ土地を取り上げられて自殺した農民の話(過去16年で25,000人なんだとか)、インドの皮革工場の廃液で公害が発生した話。
すいません。整理がつきません。
熱意は感じるけど、ほとんど伝わらなかったんじゃないかな。
途中出てきた『パタゴニア』の副社長がすぐに捨てられる服は作らないと答えていたけど、所詮『シーシェパード』に寄付してる会社だからなぁ。信用できない。
それでもせっかく行ったのだから、私なりに3つのポイントを抑えてきました。
1)経済システムは非難されてこなかった。
コレを言い出すのは極めてアメリカ人っぽいと思ったのですが、教育システムや交通システムに欠陥があれば、非難されて改革が行われてきます。
しかし、経済システムは過去50年非難されずに〝自由〟と言う言葉で守られて来た。
非難されないシステムはやがて悪影響しか及ぼしません。
こんな内容だったかな。
これは、言わずもがなメジャーに対する批判ですよね。
戦後処理もメジャーの意向で進められて、各地の紛争はつづいていますから。
2)先進国の人も含めて、世界中は貧しくなっている。
メディアの広告のコピーは、プロパガンダと同じだと言うこと。ちょっと極論だともおもいましたが、ナチスドイツの映像を被せていたので、広告の影響はヒトラーの演説と大差ないという事だったのでしょう。
ライフサイクルで生活に必要な、住宅、車、結婚(とは言ってませんが)は高くて手が出せなくなって来ている。その不満を払拭する為に、すぐに手に入るモノで誤摩化されているというのです。
衣類や電化製品のコストをさげて、必要のないモノまで購入させる。
結局利益を上げているのは誰なのかもう一度考える必要があると言うことでした。
3)キング牧師の引用で「人をモノのように扱うな」
映画の最後の方で、引用されていたのですが、過去アメリカで黒人の地位が今よりももっと低い時に、人を機械や道具のようにあつかって蔑むのは辞めようと言ったのを受けて、海外の人々の人権についても考えるべきだと言うことだと思います。
この辺は、字幕が流れるのが速すぎて、読みきれませんでしたけど、アメリカ的な〝人道的〟な内容だと思います。
もう少し整理して欲しかったけど、ドキュメンタリー映画として見応えはありました。私の興味も少し動きましたから。
映画が終わってから、フェアトレード名古屋ネットワーク代表の原田さとみさんの15分トークが始まりますが、フェアトレードの話がメインだったので、必ずしも映画の内容とは一致しなかったのが残念でした。
もともと、フェアトレードって言葉を聞くと少し胡散臭く聞えてしまいます。
題名も内容もうろおぼえ。数字も自信ありませんが、以前見たフェアトレード推進映画で、10キロ20ドルくらいのコーヒーを40ドルで買ってもらって助かると農家の人が言っていたんですけど、コレって数字がおかしい。
だって、10キロで2,600円程度の差なら、500グラムでも130円くらい。
通常のコーヒーが350g500円だとしても、600円程度で販売できるはず。なのに、フェアトレードのステッカーがついているだけで1,000円近くしてる。
輸送費やその他諸々あると思うけど、現状のメジャーに圧力を掛けてフェアに取り引きさせた方が良くないか?
誰かがこの辺の説明をちゃんとしてくれるまでフェアトレードのシールがついている商品だからと言って手を出す事はないでしょう。
そのうち、ちゃんとお話ができる日がくることでしょう。