よたか2014.11.22 02:28:28
戦時中、蓆田飛行場(現、福岡空港)の近くに住んでいたおやじと話しをしていた。
「学校の行き帰りに45度の角度で飛び出す試作機を何度も見た」と言うのが気になって調べてみると、もしかして、上の動画の「震電」かもしれないと思って写真を見せた。
形は似てたとは言っていたけど、いくつかおかしな点がある。
震電の飛行記録は終戦間際の8月中に数回のみ。多分小学校は夏休み。
しかも、おやじが見た飛行機は、前と後ろにプロペラがついている“双発”だったらしい。
ドイツのテスト機「ドルニエ Do335」のイメージかな?
もしかしたら、この機体を日本に持って来てテストしていたのだろうか?
いかんせん、おやじが小学校の時の話しなので、やっぱり限界がある。
あと、P-38 ライトニングが地上掃射を行っていたのも聞いた。
狙いは、福岡市内に住んでいた兵隊を、飛行場(特攻隊基地)まで運んでいた西鉄電車だったらしい。
ちなみにうちの実家は西鉄電車の沿線なので、そんな状況が毎日のように見ていたのだとか。
他にも亡くなった爺さんが、部落長(となり組長?)をやっていた時、町長と話しをして赤紙を送る家を決めていたらしいとか恐ろしい事を聞いた。
なんでも、誰かから「その地区から5人出せ」と言われると、候補を探して申告する必要があったらしい。
その時に、ドコソコは1人息子だからとか、父親がいないからとか言って調整をしていたらしい。そして、申告した男子の元にちゃんと赤紙が届いていたのだとか。
ある意味権力を持っていた訳だから、目を付けられてしまうと真っ先に赤紙を送られる事になったんだと容易に想像ついてしまいます。
ちなみに、おやじの兄貴の1人は逃がしたつもりで地方の工場で働かせていたらしいのだけど、結局召集されて輸送船で戦地に行く前に潜水艦に沈められたらしい。
他の1人は、満州鉄道で働いていたけど終戦前に病気で亡くなったんだとか。
最近、口が軽くなったのか、こういう話しを良くしてくれます。
しっかし、飛んでる震電の話しを聞けたのはかなり驚きでした。
そして、震電でなさそうなもう1つの飛行機もとても気になる。