よたか2012.07.16 13:30:00
エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会名古屋会場で、意見表明の補欠に選んでいただけましたので、原稿を準備しました。
結局発表できませんでしたけど、せっかく原稿を書いたので、せめてブログにはアップしておきますね。
Ustream動画はこちら。なんですけど、大騒ぎしてる割に、閲覧が100そこそこ、昨日の録画も1,000に達してません。
結局、騒いでるほど真剣に考えてないんじゃないのかなぁ。
いまコレを書いているのは、16日の午前2時。13:30に自動公開に設定してますが、意見を言わなくてよくなったので、会場で、更新中です。
=============== 以下原稿です ===============
どなたも同じだと思いますが、昨年の事故からエネルギーについて考える事が増えました。
数字の根拠はともかく、日本のエネルギー自給率は4%、原子力を含めても18%らしいので、原子力だけでなく、再生可能エネルギーや石油の事など、本当に考える事はたくさんありますね。
※北海道電力サイト参照
わたしは、エネルギーについて考える時、中学の時のお小遣いの事を思い出します。30年以上前ですけど、小遣いはずっと月に1,000円でした。3ヶ月貯めてやっと友だちとの映画を一回見に行ける程度のかなりキツイ金額です。
ですけどそのおかげで『やりくりして我慢する』という事を身を持って実践してこれたと思います。
考えてみればこれは至極あたり前の事だし、ほんの200年前までは多くの日本人が実践してきました。現在でも地球上のほとんどの人が生きて行く上の大原則だと思うんです。
とは言っても、今の私は、仕事がら常時ネットに繋いでいないと生きていけませんし、夜更かしもする。どこが我慢だよと、うしろ指さされてしまいそうです。
それでも、無理して美味しいもの食べたいとか、いい服着たいとか、贅沢したいと思わないのは、育ってきた環境によるところが大きいと、つくづく思うんです。
おかげで、昨年は、エアコンのスイッチを一度も入れなかったし、車も手放す事ができました。
さて、これを今の日本に当てはめてみると、少し違う考え方ができるのではないでしょうか?
提案された、3つのシナリオを見比べた時、前提とされる消費されるエネルギーはバブル期の1.2倍。
これって、あまりにも多すぎますよね。
自前で賄える分だけとは言いませんが、せめて、半分くらいにエネルギーの消費を減らすシナリオを考える事はできなかったのでしょうか?
多分、経済が……とか、競争が……とか、いろいろなプライドが邪魔して『やりくり』する努力を怠っているように思います。
いつまで、この生活を続けられるのか真剣に考えるならなんとか、今すぐ『やりくり』を始めて、消費エネルギーを50%カットくらいしないといけないのではないかと思います。
仙台で意見表明された方の話では、1970年のレベルだそうです。
でも、そんな事は、多分、無理です。
深夜でも競うように明るい店舗。
室温を下げ、外気温を上げるエアコン。
コンセント一杯にぶら下がった充電器。
どこまでも繋がる情報端末。
近距離でも車に頼る移動……。
どこにも『やりくり』する努力が見当たりません。
ところで『原発ゼロ』を叫ぶ方々の中で『やりくり』が出来ていると、胸を張って言える方はどのくらい見えるでしょうか?
穿った見方をすれば、ゴリ押しで原発を再稼働した政府へ『原発ゼロ』を叫ぶ姿は、まるで免罪符を求めているようにも見えます。
もし『原発ゼロ』を言うのなら、
まず今年の夏、エアコンのスイッチ入れずに生活して見ましょう。
車を手放してみましょう。
毎晩11時に寝てみましょう。
できますか?
中には『再生可能エネルギーをもっと使おう』と言われる方も居ると思いますが、ソーラーパネルも風車も付けられない団地暮らしの私は、なんとなく素直に聞く事ができません。
持たざる物のヒガミですけど。
いっそ、自転車で風車を回そうかと思ったくらいです。
メガソーラーとかも言われてますけど、想像してみてください。
美しい山の稜線に、白い風車が並んでいる姿があたり前になったり、田んぼがあったところに黒々としたソーラーパネルが並んだ姿ってちょっと寂しくないですか?
陽の光があたらない事で、生態系が変わったり、土壌の変化が起きるんじゃないんでしょうか?
隠すように発電して、大消費地に電気を送る構図は、原子力発電所とあまり変わらないように感じます。
結局、今の生活を続けるなら現状の原子力発電所は、稼働させざるおえないと思うんです。
かといって、新規に原子力発電所を作る、25%のシナリオもどうかしてると思います。
補助金を使って原子力発電所を建て、長い送電線で大消費地まで電気を送るのは、コストが掛かり過ぎだと思いますし、消費地の人たちの目をエネルギー問題からそらしているように感じます。
もし、どうしても新しい原子力発電所を作りたいのなら、いっそ大消費地の近くに作りませんか?
名古屋だったら、金城埠頭あたりに作ってもいいのではないでしょうか?
ほとんどの日本人は『原子力発電所で事故が起きたら、日本の何処でもあまり関係ない』事を昨年の地震で思い知ったはずです。港近辺の詳細は知りませんが、広いスペースもあるみたいですし、中電の火力発電所もあるので、送電線もきっと大丈夫でしょう。
どうせ、名古屋で使う電気だから、雇用も名古屋で確保できるのもいいですね。
確かに『原子力発電所』を名古屋市内に建てることは、とってもリスキーです。しかし自分が使っているエネルギーにちゃんと向き合う事ができます。
地産地消っていうのかな? やっぱり、生産者の顔が見えるのって大事だと思うんですよね。
原子力発電所を建てる事を前提にした、25%のシナリオを支持される方、是非心に留め置いてください。
昨年からのエネルギー問題から、ずっと、原子力発電所の是非が問われて来ました。そして、今回は3択と言う形で2030年までのシナリオが提示されたのは、告知が遅かろうが、タイミングが悪かろうが、私は評価しております。
しかし、この『意見聴取会』には大きな誤りがあります。
選択肢は、3択ではなく2択だと思うんですよ。
2030年までに『原子力発電所の割合をどうするか?』ではなく、これからの生活において、『やりくりをするか』、『やりくりしないか』の2択だと思うんです。
具体的には、この2択だと思うんです。
1)積極的に、エネルギーを使わない生活を目指す
2)いままで通りの生活を続けて行きたい
最後になりましたけど、10年ほど前のテレビの話をひとつ。
『所さんの笑ってコラえて』で、青森だか北海道だかの小学生数名をスタジオに招待した時の話。東京に到着したのは夜。まだまだ明るい街を見て、女の子が言った。
「うわぁ〜。電気つけっぱなしでモッタイない」
その少女の一言に、このバラエティー番組のスタッフは、乾いた笑いの音声を被せてました。
純粋な子どもたちを『田舎者』だと言って笑う日本人に『やりくり』なんて到底無理だと思います。