よたか2011.04.10 05:21:39
Facebookのウォールで紹介されていたので、見に行きました。頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない
多くの人が目を背けたくなる文字が並んでる。
コメントを見ると、読んだ人が混乱しているのがよくわかる。
昨日、東図書館に本を返しに行った時に「東日本大震災現場の写真展」見たいな展示をやっていたんです。
海外からの祈り、強盗に襲われたコンビニの張り紙、瓦礫を呆然と見つめる人々。
そうですね、絶望と言う言葉が、これほどピッタリはまる事もそうそうないなと感じてました。
逃げるように会場を後にしようとすると「よかったら一言書いてください」と寄せ書きのある色紙を差し出された。
ソレを書きたくなかったんだよ。
書けないもん。
何かいていいのか解らないもん。
頑張れなんて言えない。
未来があるなんて書けない。
一緒になんて思えない。
渡されたペンを持ったまま、固まってしまった。
首筋が熱い。
気がつくと、少し涙ぐんでいる。
花粉のせいだと思いたいけど、違う事を知ってる。
やっと書けた一言。
「前を向いて進んでください。」
これだけ書いてやっと。情けなくなる。
鬱病の人に「がんばれ!」って言っちゃ行けないって多くの人が知ってる。
なのに、こんなときなんで、気軽に「がんばれ!」って言っちゃうの?
他の言葉をしらないから?
いや、ちがう。
本気で考えてないから、一番きれいに聞こえる言葉を使っちゃうだけ。
実は、今回の震災において、1円も募金をしてません。
被災地が、必要をしているように思えないから。
募金をしていません。
被害総額が大きい事は十分承知してます。
でもね、中東や、アフリカには、祖国を失い、家に帰れない人が何倍もいて10年以上も続いてる。
自分の親を殺した少年兵や、親戚に騙されて売られてしまった少女、
遠い国の事だけど、どうかしたら、闇に葬られてしまうかもしれない危うい中で生きている。
彼らの声は小さくて届かないと思う。
もしかしたら声も出せないくらい疲れ果てているのかもしれない。
たとえユニセフが半分かすめ取っているとしても、
現場で闘っている人がいるのなら少しでも応援したいと思っている。
だから、小額ですが、ユニセフへの募金はつづけることができてます。
でも、その募金も、私に取っては、免罪符なんですよ。
心を安定させる為に支払っているだけにすぎません。
ただ、どんなお金でもお金はお金。
現地のスタッフの方々が、私の贖罪の為に使ってくれていると信じています。
翻って、今回の震災について、考えると、
何の為にお金が必要なのかいまいちピンと来ない。
どうせすぐに使わないのだったら、いま出す必要ないじゃん。
もっと、いうと、どこを目指しているのか解らない。
元の生活に戻る事を目指しているのならナンセンスです。
そんなの絶対に無理です。
死んだ人は戻ってこないし、過ぎた過去は取り戻せません。
原発事故の事もありますが、少しでも節電に協力しようと言う流れが出来ました。
まだまだだとは思いますが、いまやる事ってそう言う事だと思うんです。
具体的に何をすればいいのかなんて解りません。
ただ、いままで多くの日本人が享受してきた「贅沢」を諦めるだけで事足りるのではないのかと感じてます。
「はてな匿名ダイアリー:頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。 」には「正直、不幸になってくれたら嬉しい」こんな悲しい言葉が綴られている。
そこまで追い込まれている事は理解できないでも無いのですが、
今回の被災者は「日本」というバックアップがあるし、声をあげれば聞いてくれる人もいる。
その言葉を、祖国を失った人々の前でいえるのでしょうか?
難民の多くは「まだ祖国がある奴の世迷い言」と一蹴する様な気がします。
お願いです。
全てを失ってしまったなんて、思わないでください。
だれも、忘れてるわけではないし、
多くの人は、かける言葉が見つからず「頑張れ」って言ってるだけ。
そんな言葉尻に、こだわるより、少しでも前に進む時ではないでしょうか?
「ボランティア」が真剣でないのなら「ボランティア」を利用する。したたかさがあってもいいじゃない。
「頑張れ」って言われて薄っぺらだと感じても、聞き流して「ありがとう!」って言っとけばいいじゃない。
きっとそれだけで少し景色が変わると思うんですよ。
今はまだ、家が残っている、名古屋からの「世迷い言」を、最後まで読んでくれて本当にありがとうございました。