よたか2011.04.01 04:59:49
リアルの私を知っている人はご存知でしょうが、私の声はかなり高いです。男声のテノールとは違った意味で高いんです。
まぁ、今となっては、低い声も自由に出せるし、コーラスの時は、高音が楽に出せるので重宝してますが、ずっとコンプレックスの元でしかありませんでした。
いまにして思えば「声変わり」の時期がなかったような気がします。
さて、なんでいまさらこんな事書いているかというと、さっきまで見ていた「放浪息子」。
主人公のニトリくんが声変わりするシーンで終わったので何となく思い出してしまったわけです。
女の子になりたかったニトリ君とマコちゃんは「声変わり」を恐れていたし、文学少女でも音楽の先生が声変わりを苦にして歌手を辞めた下りがあった。
そう考えると、ラッキーなのかもって思えちゃうけど、別段女性になりたいわけでもないし、ソプラニストでもないので、この恩恵を受ける事無く生きてきました。
特定の人から見ると「もったいない」と思うかもしれないし、実際「羨ましい」と言われた事もあった。
多分、この部分が「才能」って言われる部分何だろうな。きっと。
でもね、この「才能」を活かすだけの努力も勉強もして来なかったので、やはりピンとこない。
せいぜい「いい声だね」って言われるくらいなんだよね。
ちなみに「歌上手いね」って言われた事は一度もないけど…。
もし、中学生くらいの時になんらかの出会いがあれば人生は変わったかも知れないともおもうけど、やっぱり同じかな?
あの頃は、登校拒否で、拗ねた少年だったし。
それだけに、いまコーラスの面白さを教えてくれてた先生方にとても感謝をしております。
こんな風に「もし」って考える時ってたいがい「逃げ腰」な時なんだよな。
なんとか踏ん張って前に進まないと行けない事は十分解り切っているのにとても不安でなかなか踏ん張れない。
今がちょうどそんな時期。
逃げてしまえばそれなりに楽なんだろうけど、何年か先、今みたいに「もし」って考えちゃうんだろうなきっと。
たまに「大災害がおきて、町もなにもかも壊れてしまえ!」
なんてセリフ聞く事があるけど、東北であんな地震があったあとだとさすがにそうは思えないね。
どんな災害が起きようが、まわりに人が全ていなくなっても人は生きて行かないと行けない。
それからすると、今の状況なんてずっと楽なはず。
少なくとも、生きて行く糧は残っているし、まわりに人もいる。
それを幸せと感じる事が出来ればこの状況も切り抜けられるはず。
声変わりをしていない高い声を、誇りでいられる自分ならば、
この状況を打開する何かを持っていると信じられから。
きっと切り抜ける事が出来るはず。
今日も、ここまで私の愚痴に付き合ってくれて本当にありがとうございます。