よたか2007.07.26 10:12:53
いろいろと考えさせられる事が多い、このシリーズ。第1巻の「豚の解体」以上に現実を突きつけられます。
今回の内容は、「捕鯨」。
「捕鯨してもいいじゃないか!」という日本の理屈なんてイッペンに吹っ飛んでしまうくらい衝撃的でした。
見たのが2ヶ月くらい前なので、詳細は憶えてないのですが、インドネシアの海岸で暮らす人びとの話しです。
毎年決まった時期にマッコウクジラがやって来るこの島の海岸線は、急に深くなるために小型の魚があまりとれないので、住民たちはこの鯨を狙います。
でも、鯨が捕れるのは年間10頭程度。そう、1頭取ったら1ヶ月以上その鯨を食べているのです。そして、その一頭を取る為に漁師たちは10人程度しか乗れない手こぎの小舟で船団を組み毎日沖まで出かけます。
何日も空振りが続いたのちやっと鯨が現れても、捕獲できるとは限りませんし、怪我どころか、命の危険もあります。そう、まさしくこれがIWC(国際捕鯨委員会)が言っている原住民生存捕鯨というものなんです。
鯨を見つけると、最初に銛を持った人が飛び込んで銛を突き立て、弱らせたあと、仕留めにかかります。この時に尾びれで打たれて怪我したり、亡くなったりした人も当然います。
鯨を仕留めると、陸まで引き上げ翌日は村をあげての鯨の解体がはじまります。村中が鯨の脂のにおいに包まれ、番組スタッフは、かなり堪えたとの事。
鯨の頭の部分は、その土地の“もともとの民”へ献上し、最初に銛を打った人、その人が所属している船、家族に優先的に分けられて、あとは全ての村人に5Kg 程度平等に分けられます。
この時制作スタッフが“尾びれ近くの肉”をさして「ここが美味いんだよね」と言ったところ、村人は、「どこも同じだよ」と返したそうです。美味いもまずいも“生きる”前にはあまり関係がないようです。
生きてる鯨の肉を取る為に漁師も命をかける。そんな漁にも一時的に、銛を打つ大砲が搭載されたエンジン船がODAの補助であったそうですが、安全に沢山とれる為に、鯨が減ったために、壊れたのを機に使わなくなったと長老(?)が言ってました。(鯨が減った理由は他にあるような気もしますが…)
そして、スタッフの方が「命をかけた漁だからこそ、“きびしい掟”が生まれた。コレこそが、“食は文化”と言えます。他に食べ物がある日本人は鯨を食べなくてもいいよ」と締めて見えたのが印象的でした。
捕らえた鯨の“連れ合い”が翌日以降、単独で沖にいる事があっても、その鯨は決して狙わない。そんな捕鯨らしいのです。
しかし、近年では、「鯨がいなくても銛を打つショー」を見る為に観光船が近くまでやって来ているそうです。