よたか2013.07.22 11:57:07
昨日の選挙の投票率を見て愕然としてしまいました。著作上全文をアップするのはマズいと知ってますけど、アップして留めておかないといけない気がしますので、あえてアップさせていただきます。
(関係者各位ごめんなさい。気に入らなければ叱ってください。速攻削除します)
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わたしは、わたしは魂を持つものとして、みなさんに語らなければならないことがあります。
わたしは、わたしは実は農奴の子として生まれました。
わたしは、7人の兄弟姉妹の3番目として生まれました。
兄は農作業中に腕を折り、そのまま衰弱して捨て置かれました。
姉はある晩、地主に召し出され帰りませんでした。
冬の良く晴れた朝、一番下の弟は冷たくなったまま、とうとう目を覚ましませんでした。
疱瘡にかかった兄弟もいます。
わたしは何もできなくて、生き残ったのは、わたしと妹だけです。
ある時、逃げ出したわたしたちに転機が訪れて、それは運命の輝きを持っていましたが、わたしはずっと悩んでいました。
ずっと、ずっと。
運命はあたたかく、わたしにやさしくしてくれました。
「安心しろ、何とかしてやる」
しかしみなさん。貴族の皆さん。兵士の皆さん。開拓民の皆さん。そして、農奴の皆さん。
わたしはそれを、拒否しなければなりません。
あんなに恩のある、やさしくしてくれた手なのに。
やさしくしてくれたからこそ、拒まねばなりません。
わたしは、人間だからです。
わたしは、自信がありません。
「このからだの中には、卑しい農奴の血が流れているじゃないか」
「お前は所詮、虫けら同然の人間もどきじゃないか」と。
だからこそ。
だとしても、わたしは人間だと言い切らねばなりません。
なぜなら自らをそう呼ぶことが、人間であることの最初の条件だと、わたしは思うからです。
夏の日差しに頬を照らされる時、目をつぶってもその恵みがわかるように、胸の内側に温かさを感じたことはありませんか?
他愛のないやさしさに、幸せを感じることはありませんか?
それは、みなさんが光の精霊のいとし子で、人間である証明です。
―やめろ!異端め。
異端かどうかなど、問題にもしていません。
わたしは人間として、冬越し村の恵みを受けたものとして、仲間に話しかけているのです。
みなさん。
望むこと、願う事、考える事、働き続ける事をやめてはいけません。
精霊さまはその奇跡を以って、人間に生命を与えてくださり、その大地の恵みを以って、財産を与えてくださり、そのたましいの欠片を以って、わたしたちに自由を与えてくださいました。
―自由?
そうです。
それは、よりよき行いをする自由。
よりよきものになろうとする自由です。
精霊さまは完全なるよきものとして人間を作らずに、毎日少しずつ頑張るという自由を与えてくださいました。
それが「歓び」だから。
だから楽するために、手放したりしないで下さい。
精霊さまの下さった贈り物は、たとえ王でも、たとえ教会であっても、侵すことのできない神聖な宝物なのです。
―異端め!その口を閉じろ!
閉じません!
わたしは人間です!
もうわたしは、その宝物を捨てたりしない。
もう「虫」には戻らない。
たとえ、その宝を持つのが、つらく苦しくても、あの昏い微睡みには戻らない。
光が在るから。
やさしくしてもらえたから。
―この異端の売女めに、石を投げろ。何をしているのだ。
―石を投げない者は、すべて背教者だ。
投げようと思うなら投げなさい。
この狭く冷たい世界の中で、家族を守り自分を守るために、石を投げることが必要なこともあるでしょう。
わたしは、それを責めたりしない。
その判断の自由も、また人間のもの。
その人の心が流す血と同じだけの血を、わたしはこの身を以って流しましょう。
しかし。
「他人に言われたから」
「命令されたから」という理由で、石を投げるというのなら。
その人は「虫」です。
自分の意思を持たない、精霊さまに与えられた大切な贈り物を他人に譲り渡して、考えることをやめた「虫」です。
それが、どんなに安らげる道であっても、宝物を譲り渡した人間は「虫」になるのです。
わたしは「虫」を軽蔑します。
わたしは「虫」にはならない。
わたしは、わたしは人間だから。