夜明け前のよたか 短編集

よたかが書いた作品を掲載中です。

ほととぎすよたか

 幸穂(ゆきほ:35歳)は嫌がっていた息子の信広(のぶひろ:14歳)を無理に連れ出して、車で出かけたのは間違いだったと後悔していた。幸穂は『中三の息子が嫌がってて可愛いなぁ』くらいにしか思わなかったが、今回だけは家に置いて来た方が良かったかもしれない。
 夫の克雄(かつお:38歳)が運転する車は高速道路で事故に遭ってしまった。
 助手席に座っていた幸穂が最後に見たのは、フロントガラス越しのコンクリートの壁だった。そこで幸穂の意識は途切れた。

 病院のベッドで幸穂は昏睡していた。幸穂は夢を見ていた。夢の中で彷徨い、自問自答を繰り返していた。事故の時の映像ははっきりと覚えて夢の中で何度も見たし、救急車に載せられてから、病院に到着するまでの間に聞えてくる医師や看護師たちの会話はその都度映像化されていた。
「息子の方は肝臓破裂で出血が多すぎる」
「止血は出来ても再生できないかもしれない。移植かな」
「手続きからも、相性からいっても親からの移植が現実的か」
「たぶん脳死状態だし、遺族さえ承認すれば大丈夫だと思うぞ」

 克雄が脳死? 幸穂にはそう聞えた。だけど悲しいとは思えなかった。感情が気化して、無くなったような気がした。
 動かない体を病院のベッドに横たえて、青白い病室の光を肌で感じながら、ずっと医者や看護師たちの話を聞いていた。コミュニケーションは取れなくても、こんなにクリアに考える事ができたのは生まれて初めてかもしれない。
 幸穂が考えていたは信広の事だった。医者の話では『いくつかの臓器』を移植しなければならないらしい。そして内臓を提供するドナーは脳死した克雄らしかった。
 医者は親だから適合しやすいと言っていた。本当に克雄が信広の親ならば確立も高いのかもしれない。

 ただ、信広の父親は克雄じゃ無いかもしれない。
 15年前に幸穂はちょっとした悪戯のつもりで、妹の彼氏を誘った。女性経験が無い乱暴な愛撫、単調なリズム、高校生の我儘なセックスはそれほど良く無かった。だけどいつものされるがママ、言われるがママの受け身のセックスだったから、幸穂はリードしたり、命令するのが気持ち良くて仕方なかった。
 それからは彼の性欲に任せて何度もセックスをした。足先から耳の裏まで舐めさせたり、縛って動けないようにして焦らすのも楽しかった。彼が妹と別れてからは、幸穂と彼のセックスもソコで終わった。
 そして、しばらくして信広が生まれた。
 その頃も克雄とのセックスあったので、幸穂は克雄の子どもだと信じて暮らして来た。
『信広と克雄が親子じゃなかったら、克雄と信広が他人だったら、適合する確立はどのくらいなんだろう?』
 少しだけ心配したけど、動けない幸穂にはどうにもならない。病院だからちゃんと調べてくれるに違いないと思って、心配するのも辞めた。それよりも、もし親子じゃないことがわかったら、ちょっとやだなと考えていた。

 幸穂は違和感を感じていた。
 事故が起きて、克雄が脳死、信広が危篤、幸穂の体も動かない。もしかしたら家族が全否定されるかもしれない。そんな大変な時なのに幸穂はとても落ち着いていた。むしろ解放感さえ感じていた。夢の中だから判断できてないだけかもしれない。だったら一刻も早く目を醒して医者に告げなければいけない事がある。だけど幸穂はこの心地よさを手放したくなかった。
 幸穂は夢の中で天井の高い白い部屋の中にいた。真ん中に置かれたアンティークな木製の椅子に静かに座っていた。窓もないのに明るいのは白い壁が柔らかに光っているのだと思った。
 夢のなかでも幸穂は体が動かなかった。拘束されているのではなく、ただ動く理由が無かった。ゆったりと流れる時間に浸っているとまた会話が聞えて来た。
「検査結果でました。適合しました」
「家族の方の確認が取れました。移植できます」
「わかった。手配をしてくれ。準備が整う前に面会だけはさせておこう」
「ストレッチャーを入れて下さい」
 信広の移植手術ができる事になったらしい。幸穂は少しだけ安心した。だけど気持ちはずっとフラットなまま。感情の起伏は何も無かった。

「幸穂。ごめん。事故なんて起してごめん」
 ふいに克雄の声が聞えた。
 最初は死んだ克雄が天国から呼びかけたんだと思ったけど、幸穂はすぐに全てを理解して受け入れた。

「そっか。克雄くん。信広を頼むね。立派に育ててね」
 幸穂の声は誰にも届かなかった。それでも幸穂は満足だった。信広は助かるし、昔の事も秘密にできる。だからコレで良かったと幸穂は思った。

「では時間がありませんので、奥さんと息子さんの移植手術をはじめます」
「は、はい。お願いいたします」
 体を起せない克雄の涙声が、幸穂を載せたストレッチャーを見送った。

<了>