夜明け前のよたか 掌編・書出し

よたかが書いた作品を掲載中です。

ちょっと未来のうらがわでよたか

 生物が生きていくために必要な栄養が解明されてから何十年も経ちました。栄養価の高いサプリが安く作られるようになったので、人は食べ物を口にしなくても健康で長生きできるようになりました。人々が食料不足で餓死したり、肥満を気にしていたのはもうずいぶん昔のことでした。

 大学の長い夏休みが終わり、学生たちは薄手の長袖をはおり始めていました。大学からすこし離れた住宅街の一画では男子学生が書斎兼資料庫に使っている自宅のガレージに同じゼミの女子学生を呼んで、課題のレポートをまとめていました。
 つけっぱなしのレトロなパネルテレビの音が、ガレージに放置されたガラクタを小刻みに震わせていました。
『この開発中のサプリタンクを体内に埋め込めば自動的に栄養を供給してくれるんです』
 主婦向けのお昼のバラエティー番組のレポーターは、少し大げさに抑揚をつけながら近いうちに実用化される〝サプリタンク〟を紹介していた。
 女子大生は番組を聞き流して、目の前の人類史の資料を眺めながら昼食用に合成されたゼリー状のサプリを口の中に流し込んだ。
「今朝はジョギングして頑張ったからサプリがちょっと甘いわ」女子学生はちょっと得意気に笑顔を作って言った。
「味なんかなにもないのに、甘く感じるように刺激してるだけだろ」男子学生は顔に無表情を貼りつけて苦々しく応えた。
女子学生は少しだけ男子学生を睨め付けて「そんな言い方しなくてもいいじゃない。もう、意地悪なんだから」と投げつけた。
「ゴメンよ。オレのサプリがちょっと苦かったんだよ。だからつい言っちゃったんだよ」バツが悪そうに男子学生は言った。
「そんなの、午前中にちっとも運動してないからでしょ。食べ過ぎないように苦く調整されているんでしょ。自分が悪いんじゃないの」男子学生の下手な言い訳がスイッチを入れたらしく、女子学生はキツメに男子学生を畳み掛けた。
「だから、悪かったって。本当に許してよ」男子学生は、彼女の怒りが本気モードに移行する前にもう一度謝った。そしてこれ以上の怒りを回避するために話を変えた。
「あぁっと、ところでさぁ、このサプリタンクってヤツが出来たら、もう味覚とか気にしなくてもすむんだよなぁ」
「えっ、なに、サプリタンク?」
「ほら、テレビでやってるじゃない。コレコレ」男性は上手く話が変わりそうだったので、ちょっと安心した。
『このサプリタンクはサプリの量を自動で調整してくれるんですか?』
『まだ完全ではありませんが、健康状態をチェックして必要な栄養素を供給するのが目標みたいですね』
『すごいですねぇ。サプリ切れで慌てたりしなくていいから、長期旅行者には最適ですね』
『はい。その他、自衛隊も導入を検討しているようですよ』
『自衛隊ですか? 』
『それで、開発元の株価は上がっているようです』
「なっ。すごそうだろ。これがあればもう甘いとか苦いとか言わなくてもよくなるんだぜ。俺もすぐに使いたいなぁ」男子学生が女子学生に同意を求めた。
「なに言ってるのよ。実用化はまだ先だって言ってるじゃない。サプリが苦くてイヤなら、ちゃんと運動すればいいいのよ簡単じゃない」
「まぁ、そうなんだけどな。えっとそれもそうだけど、株価が上がってるってことはこの会社儲かってるんだよな。いいなぁ」
「儲けたいなら何か作ってみたらいいいじゃない」
「作ってみたらって、いまどき発明できるモノなんて、残ってないだろ」
「あら、そうかしら?」
「そうだよ。あったとしても、どうせ大手企業が独占しちゃうんだよ」
「あんたって、本当にツマンナイ男ねぇ。じゃ、提出するレポートもできたし、私は先に大学に行くわ」
「えっ、もう行くの? 講義まで2時間もあるじゃない。自転車で行けば20分だよ。ゆっくりしていけよ」男子学生は溢れそうになる下心を抑えながらそう言った。
「おやつに苦いサプリを食べたくないから、裏山の遊歩道を歩いて行くのよ」女子学生は下心の触手を払いのけるように切り捨てて立ち上がった。
「ちょっと待ってよ。オレも一緒に行くからさぁ」男子学生も慌てて立ち上がった。
 2人の学生はそのままガレージを後にした。女子学生は颯爽と、男子学生はガレージに残した自転車をチラ見して歩き出した。

 都心から離れた場所にあるキャンパスの裏手には小高い山があり、雑木林や田んぼなどかつてあった風景を再現した、未舗装の遊歩道が整備されていた。2人の学生は緑色の稲穂を横目で見ながら緩い傾斜がついた坂道を登っていった。
「ねぇ見てみなよ。あの緑色の草が〝米〟なんだよね」
「そうね、日本人は昔お米を食べていたって、小学校の時に習ったわよ」
「あの草の中に、プラスティックみたいな白い粒が入ってるんだよ。なんだかすごくない」
「そうねぇ。どんな感じなのか一度食べてみるのも悪くないかもね」
「おいおい。それ本気? 地面に落ちてるんだぜ。菌とか付着してて汚いよ」
「なに言ってるのよ。落ちてるんじゃなくて植えてるのよ。貴方の家の庭にもパンジーやパプリカを植えてるじゃない」
「どう違うんだ?」
「植えてるのは人が育ててるんだから、落ちてるんじゃなくて、置いてるんじゃないの?」
「それでも地面に直接置いてるんだろ」
「まぁそうだけど」
「じゃ、落ちてるのと同じじゃん。どう考えても不衛生だよ」
「なんとなく違う気がするんだけどなぁ、そうなのかなぁ。そうそう。貴方の家の庭にあるパプリカって食べられるんだって。知ってた?」
「まじか? でもパプリカは色がキレイだし、この米よりも喰えそうな気がするなぁ」
「じゃ、一緒に食べてみる?」
「いや遠慮する。ビニール袋にも入ってないし汚いじゃん」
「確かにそうよねぇ」
 2人の学生は遊歩道の緩い坂道を登りながらそんな話をしてた。
 少し柔らかくなった陽の光を受けて歩いていた。
 風がシャツにしみた汗を乾かしてくれるのが気持ち良かった。
 遊歩道から田んぼを見下ろすと、吹き抜ける小さな風たちが稲穂を揺らして模様を描いていた。
 2人は目の前の光景を見て、少し感傷的な気分になっていた。男子学生は〝チャンス〟だと思って、気の効いたセリフを探しはじめた。
『遺伝子レベルで懐かしく感じちゃったね』ちょっと理屈っぽい。
『いま、僕らはこの景色とひとつになったよね』いやコレは恥ずかしい。
『この風がこんなに気持ちいいのは、君と一緒だからだね』これがよさそうだ。ヨシ!
「この風が……」「ねぇ、ちょっと見て。なにあれ。可愛い」
 女子学生がセリフを重ねてしまった。
 男子学生は決めセリフを口の中でボソボソ言った。
 女子学生は遊歩道の先を指さした。 
 男子学生は女子学生の指の先を見た。
 体高40センチ程の〝子ブタ〟が2人の学生の方を見てた。 

 かつて食用として飼育された動物たちは、ほとんどが屠殺されたが、一部は逃げ出して自然淘汰され、環境に順応し野生化していた。野生化した〝元家畜〟たちは雑木林に棲み、たまにこうして人目に触れることがあった。
 かつての野生動物たちは人の住む場所まで降りてきて、田畑を荒らし〝害獣〟と呼ばれていたが、農作物を食べなくなった人間からは敵視されることはなくなった。
 お互いに危害を加えることもないので、子ブタはとても落ち着いて遊歩道をトコトコと跳ねるように歩いていた。
「あれ、ブタよね。ちょっと追いかけてみましょうよ」女子学生は少し速く歩き出した。
「おい、追いかけてどうするのさ」男子学生は女子学生を追いかけた。
 子ブタは少し急ぎ足で遊歩道を駆け上がって行った。2人の学生は逃げる子ブタを追って走り出した。
「昔はブタを食べてたのよ。知ってる?」
「今でもサプリの材料に工場で生産してるだろ」
「じゃなくて、あんな風に外で飼っていたブタを食べてたのよ」
「外のブタって無菌じゃないんだろ。昔の人は病気とかは大丈夫だったの?」
「昔の食事について講義があったじゃない。肉は加熱して食べてたのよ」
「加熱って、どうやって? 焼くの?」
「丸ごとは無理そうだから、切って細かくしたんじゃないかしら」
「切る? 血とか出て汚れるよ。汚なくないのか?」
「そうかもね、でもさ、ちょっとさ、興味ない?」
「興味ってなんだよ。すごイヤな予感しかしないんだけど」
「食べてみたくない?」
「食べるって、あのブタを? 捕まえられるの? それに……」
「それに、なによ」
「食べるなら、殺さないといけないよね」
「そ、そうよね」
「おまえ、できるの?」
「そ、それはわからないけど……、捕まえないと始まらないでしょ。さぁ追いかけるわよ」
 女子学生の言ったことがわかったのか、少し色づきはじめた雑木林の中へ入って行った。風はなかったけど、シンとした空気が気持ち良かった。子ブタが落ち葉をかきわける音と、2人の学生が湿った落ち葉を踏みしめる音が響いていた。
「ちょっとぉ、靴とかボロボロなんだけど、も、もう諦めようよ」
「な、なに言ってるのよ。ココまで来てぇ。はっ。はっ。あんたサプリ以外のモノ食べたいと思ったことないの?」
「ない訳じゃないけどぉ、なにもぉ、ブタじゃなくてもぉ、いいだろぉ。はっ。はっ」
「なんだかね、あの子ブタを見た瞬間に、ピンときちゃったのよ」
「ピンときちゃったから食べるのかい? おかしいよ。どんな影響が出るのかわからないだろ。病気になるかもしれないんだよ」
「そりゃそうだけど、あんたは人類史とかやってて気にならないの?」
「なにがさぁ?」
「人類の文化は食が基本だったって講義あったわよねぇ。はっ。はっ」
「憶えてるけど、それがどうしたのぉさぁ」
「だ、だからねぇ、いまの食事はなんとなく変だとは思わないの?」
「わからないでもないけど……」
 かつて子どもたちの絶好の遊び場だったが、いまや雑木林に入るのは仕事で樹を伐採する業者くらいだった。何年もの間に積み重なった落ち葉が積み重なり、下の方は湿って滑りやすくなっていた。軽い子ブタは枯れ葉を舞い上げながら跳ねるように駆けて行くが、追いかける2人の学生は湿った葉っぱや土で服を汚さないように、転ばないように、周りの樹に触れないように、かなり不格好にヨタヨタと走っていた。
 それでも、どこかで転んでしまったらしく洋服のあちらコチラが破れていて、手足が泥だらけだった。
 2人の学生は走るのが辛くなった。それでもなんとか歩いて子ブタを追いかけていた。子ブタは安心したのか、実がなっている樹の下で立ち止まった。実は赤くて拳よりも少し小さめだった。熟しきった赤い実が樹の下のはいくつか転がって、濃くて甘い果物の強い匂いをあたりに漂わせていた。
「ね、ねぇブタが止まったわよ。捕まえてきてよぉ」
「まだ、捕まえる気なのかよ。もうやめようぜ」
「ここまで来て何言ってるのよ。意気地なし」
「意気地なしってなんだよ」
 子ブタは2人の学生を無視して、地面に落ちた赤い実を食べはじめていた。子ブタは一心不乱に赤い実を食べていた。柔らかそうだったけど、サプリとは違ってもっと瑞々しくて、子ブタが口を動かすごとに芳醇な匂いが一層強くなった。
「なにか変わった臭いがしない?」
「すごく甘いような、臭いような、湿った臭いがする」
「あのブタが喰ってる果実じゃないかなあ?」
 2人の学生は言い合いを辞めて、ブタをじっと見ていた。人と動物の違いこそあれ、あんなにガツガツとモノを食べる姿を始めて見た気がした。とても大事なことのように感じて惹かれてしまった。
「食べてる」
「本当に食べてるね」
 2人の学生の口からはそれしか言葉が出なかった。
「あの子ブタ、一生懸命に食べてるけど、美味しいのかなぁ」
「美味いのかもしれないけど汚いよ。人間は食べちゃだめだって」
「そうよね、食べちゃダメよね」女子学生は一応そう言った。そして少し顔を上げると樹の枝にぶら下がっている赤い実が目に入った。
「あっちだったら、まだ落ちてないから食べても大丈夫なんじゃない?」
「いや、そんな問題じゃないって。食用じゃないだよ」
「そうだよね。食べちゃだめだよね。わかってるわ」そう言いながら女子学生は枝にぶら下がっている果実をひとつ捥いで手に取りじっと見つめた。
「おい、なにしてるの? 汚いって。病気になるから辞めとけって」
「う、うん。わかってる。これは食べちゃダメなのよね。わかってる。わかってるけどね、ちょっとね、あのね……。ちょっとだけなら大丈夫なんじゃないかなぁ」
「お、おい」男子学生がそう言って止めようとした瞬間に、女子学生は手にした果実に齧りついた。果実は女子学生が想像したよりもずっと固かった。前歯がめり込んだ赤い皮の隙間から果汁がしみ出してきた。果実の酸味と野生の渋みが口に広がった。そのまま果実を噛み切ると甘い果汁が染み出て来た。始めて口にした味に女子学生の動きが止まった。
「おい、どうしたんだよ。大丈夫か?」
「す、すごいわ。これ、すごく変わった味がするの」
「うわっ。毒かもしれないじゃない。早く吐き出せよ!」
「いや、違うわよ。これすごいわ。酸っぱくて、渋くて、甘いのよ」
「なんだそれ? そんなに一辺にいろんな味を感じる訳ないだろ」
「するのよ。そんな不思議な味がするのよ。嘘だと思うならあなたも食べてみたらいいじゃない」
 そう言って興奮気味の女子学生は赤い果実をもう一つ捥いで、男子学生の前に出した。男子学生は差出された赤い果実をおそるおそる口まで持っていった。そして止まった。
「何してるのよ。口に入れて齧ってみなさいよ」
「う、うん」仕方なく男子学生は目をつぶって果実をひとくち齧った。
 少し固かったけど、果汁からは酸味と甘さが口の中に広がった。渋みのある後味が一層味わいを深めた。
「少し渋いけど、美味いぞ! 何だコレ」そして男子学生もリンゴを食べ始めた。
「すごくいい感じでしょ。アダム」
「おぉ、何個でも食べられるよ。エバ」
「きっと、コレが〝美味しい〟って感覚なのね」
 そしてアダムとエバは雑木林の樹の下で、子ブタと一緒にリンゴを食べ続けた。