夜明け前のよたか 掌編・書出し

よたかが書いた作品を掲載中です。

妹と、菓子パンと、10年目の謝罪よたか

 かなり無理をして勇祐が大学の法学部へ進学したのは、高2の時に付審判制度を知ったからだった。

 付審判が認められる可能性は1%もない。だけど冤罪で射殺された父の事件が再調査できるかもしれない。勇祐は家計の足しにバイトを続け、奨学金を受けるため勉強をした。

 引き蘢っていた美弥も中学から登校していた。勇祐に教えられて興味を持って、目的の為に勉強する兄をみて覚悟を決めた。

 勇祐は大学3年で司法試験に合格したが、弁護士になるにはあと5年の経験が必要だった。このままでは控訴時効で時間切れになってしまう。
 卒業後の入社を約束して、勉強会で知り合った弁護士に手続きを頼んだ。可能性は少ないけど、勇祐はやれる事をやりきって満足してた。

 勇祐が大学から帰ると高校生の美弥が、キッチンのテーブルで勉強をしていた。
「おかえりお兄ちゃん」ドアの音を聞いて兄を迎えた。
「ただいま。やっと手続きが終った」勇祐は柔らかく笑みを浮かべて言った。
「やっとお父さんが悪い事して無いって言えるね」
「まだわからない。あまり可能性がないんだ」
「でも、やれる事はやったから」美弥が笑顔を作った。勇祐も笑った。
「菓子パン2個買ってきた。食べる?」
「前は半分こだったのに贅沢ね。お祝いだから? でもお母さんが先よ」
「そだね。お母さんにお供えしないと」
 勇祐の大学合格を見届けるように、雅美は鬼籍に入った。兄妹は悲しかったけど泣かなかった。ずっと働いてきた母がやっと休めるようになったと兄妹は受け止めた。だから勇祐は、雅美の願いだった冤罪をはらす努力をしてこれた。

 兄妹は遺影に菓子パンをならべて、線香に火をつけた。

 質素な夕食を食べ終えて、食器を片付けていると誰かがドアをノックした。もう8時過ぎ。訪問には少し遅い。
「どちらですか?」少し緊張した勇祐の声。
 返事は無い。少しの間。ドアの外から小さな声。
「夜分にすみません。財部と申します」低く枯れた男の声。
「どちらの財部さんですか?」勇祐が言う。最近よく聞いた名前だった気がした。学校の知人だったろうか?
「10年前のお父さんの事でお伺いしました」
木製の薄いドア越しに男性はそう言った。父を射殺した警察官が財部だったのを勇祐は思い出した。
美弥は静かにドアの外の男の声を聞いた。緊張しているのか食器を洗う手が止まって少し震えてる。
「どういったご用件でしょう?」ドア越しに勇祐が尋ねる。
「本日、警察を辞職して、やっとご挨拶にうかがえるようになりました」
「挨拶って、何の?」刺す様な勇祐の声。
「謝罪にさせてください」震えている財部の声がますます小さくなった。
 勇祐はドアを開けた。
ソコには小柄だけどがっしりした男が、小さく立っていた。

小さなキッチンのテーブルで勇祐と財部は向かいあって座っていた。美弥はお茶を出して、母親が座っていた椅子に座った。財部は何も言わなかったが、突然「申し訳ありませんでした」と頭を下げた。
「父は無実だったんですね」怒りを抑えるように深呼吸して勇祐は静かに聞いた。
「はい。無実です」
「どうして最初に言ってくれなかったんですか?」
「決して話をするなと厳命されていました」
「どうして、今なんですか?」
「付審判の手続きをされたと聞きました。付審判が認められる事はほとんどありませんが、控訴時効に間に合わせるのは大変だったと思います」
「それで」
「今回も、付審判は認められないと思います」
「何故そう言えるんですか?」
「辞職しましたが、業務上それは言えません」
「そうでしょうね」
「ですが、私はすべき事をする為に辞職して、ちゃんと謝罪させていただきたかったんです」
「警察官のママではできなかったと?」
「はい。無理です」
3人とも俯いたまま。手がついてない湯飲みを眺める。
「お母さんは」財部が聞いた。
「3年前に亡くなりました」財部が顔をしかめて謝罪を繰り返した。
「今さら、時間切れだったんですね」テーブルに財部の涙が落ちた。
「そうですね。間に合いませんでしたね」勇祐は少し意地悪にそう言った。

「遅れたかもしれませんけど、母に謝ってみますか?」美弥がそう言って小さく笑った。財部がくしゃくしゃにした顔をあげて美弥を見た。

財部は遺影に手を合わせて、線香に火を点けた。
「申し訳ありません」もう何度繰り返したかわからない。

「どんなに謝っても誰も帰ってきませんよ」勇祐が言う。頷くだけの財部。
「私たちが許すのはまだ難しいけど、きっとお母さんは許しましたよ」美弥が言う。

「私たちが事件に縛られて生きて行くのは、お母さんも辛いと思うの。だからお母さんは、私たちの為にあなたを許したと思うの」
美弥は財部にそう言いながら、勇祐と美弥自身に言い聞かせた。

線香が燃え尽きて、まっすぐにのびた煙が消えていた。